SSブログ

知覧の隼(鹿児島県) [大戦機と模型]

知覧の隼(一式戦)
鹿児島県南九州市知覧町郡にある知覧特攻平和会館。第二次世界大戦末期の沖縄戦における陸軍特攻隊員の遺品や関係資料を展示してある。入口は霊安室的な雰囲気。

この知覧特攻平和会館の入口前に陸軍一式戦闘機「隼」が展示されている。

知覧町に陸軍の飛行場が作られたのは昭和16年(1941年)、福岡県の大刀洗陸軍飛行学校の分教所として少年飛行兵や幹部候補生の教育と訓練が行われた。昭和20年(1945年)戦況の変化に伴い、陸軍飛行学校は教導飛行師団となり、知覧分校は第6航空軍に属する知覧特攻基地となる。

沖縄戦における第6航空軍に属する特別攻撃隊の総称を「振武隊」という。

入口前展示の陸軍一式戦闘機「隼」。知覧での特攻隊を描いた映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」(2007年公開)のために制作されたレプリカである。
DSC_0002.jpeg

「隼」は陸軍航空本部が公開にあたり付けた愛称で、兵器としての制式名称は「一式戦闘機」、試作名称は「キ43」である。昭和12年(1937年)に中島飛行機に一社特命で開発指示がなされ、設計課長の小山技師を設計主務者に、太田技師や糸川技師等が「キ43」の設計を開始した。昭和14年(1939年)には試作機が陸軍に納められたが、評価は芳しくなかった。しかし、時代は英米戦争前夜であり、若干の改造要求を経て昭和16年(1941年)「一式戦闘機」として制式採用された。

「隼」には開発・導入の段階に従って各型が存在する。

「隼1型」は99式950HP発動機(ハ25)、プロペラは2.90mの住友ハミルトン可変ピッチ式2翅、武装は7.7㎜機関銃2挺(12.7㎜に換装もあり)、全幅は11.437mである。
太平洋戦争開戦当時「隼1型」が配備されていたのは陸軍飛行第59戦隊と第64戦隊の2個戦隊のみ。この第64戦隊が名高い「加藤隼戦闘隊」であり、マレー進攻作戦に参加し戦前の映画にも出てくる。

レシプロ戦闘機を駆る用心棒集団を描いたアニメ「荒野のコトブキ飛行隊」で主人公キリエの乗機も同じく「隼1型」である。戦闘機と少女という荒唐無稽なお話であるが、戦闘機はよく描かれていて、マニアのおじさん向けかも・・。

「隼2型」は2式1150HP発動機(ハ115)、プロペラは2.80mの住友ハミルトン恒速型3翅に変更、武装は12.7㎜機関砲2門、主翼が切り詰められアスペクト比が変更、全幅は10.837mになった。

「隼3型」は発動機を水メタノール噴射式に換装、速度向上を図ったが、戦況の悪化もあって、その多くは特攻機として散っていった。知覧特攻平和会館入口前に展示のレプリカはこの型である。

「一式戦」は開発段階から燃料タンクに防弾性能を付与、2型では操縦席背中に防弾鋼板装着があった。海軍の「零戦」と比較される「一式戦」だが、搭乗員の生残性への配慮は陸軍が一歩進んでいたと感ずる。尚、発動機遷移は「零戦」と同じ(ハ25は栄12型、ハ115は栄21型で両方とも中島製)だが、2型以降のプロペラ径は「零戦」の方が若干大きい。

「隼」設計者の一人である糸川技師は戦後日本のロケット研究者として有名である。小惑星「イトカワ」の岩石採取に向かった小惑星探査機の命名「はやぶさ」は、この関係を彷彿させます。

知覧特攻平和会館付近地図


JR鹿児島中央駅から知覧行きのバスに揺られて約1時間半、遠かった・・。

(2010年7月上旬 撮影機材 Nikon D80)
関連ブログ:「はやぶさ」
観た映画(Amazonの該当頁へ):「俺は、君のためにこそ死にに行く」「荒野のコトブキ飛行隊」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。