百里基地航空祭(茨城県)2016「ファントム」 [航空自衛隊]
百里基地航空祭 2016
平成28年(2016年)11月に開催された百里基地航空祭。
百里基地といえば「F-4EJファントム」、平成28年(2016年)には第301飛行隊が戻ってきて、第302飛行隊、第501飛行隊と3つのF-4飛行隊が揃ったので、いざ航空祭に。
第302飛行隊のF-4EJ改ファントム、部隊マークは尾白鷲(オジロワシ)。
第302飛行隊は航空自衛隊2番目のF-4EJ飛行隊として昭和49年(1974年)に千歳基地で編成、百里基地には平成21年(2009年)に移動している。
茨城県小美玉市百里にある航空自衛隊百里基地は、昭和13年(1938年)に発足した旧海軍百里ヶ原航空隊から始まる。戦後は農地として開放されたが、昭和33年(1958年)航空自衛隊百里分屯基地が発足、飛行場完成に伴い、第206飛行隊(F-104)及び第207飛行隊(F-104)が新編され、昭和41年(1966年)に百里基地として発足した。昭和42年(1967年)第7航空団が入間基地から移駐し、対領空侵犯措置任務を開始した。
百里基地は空自で初めてF-4EJを配備、昭和48年(1973年)には第301飛行隊(F-4)が新編され、昭和50年(1975年)偵察航空隊である第501飛行隊(RF-4)が入間基地から移駐、昭和53年(1978年)には第305飛行隊(F-4)が新編され、3つのF-4飛行隊が揃う基地となった。
その後、F-15の導入に伴いF-4飛行隊の移動や機種更新があり、百里基地もF-15飛行隊体制の時期もあったが、平成21年(2009年)に第302飛行隊(F-4)が百里基地に移動し、平成28年(2016年)には第301飛行隊(F-4)が戻ってきて、第501飛行隊(RF-4)と共に再び3つのF-4飛行隊が揃う基地となる。
第301飛行隊のF-4EJ改ファントム、部隊マークはマフラーをした「カエル」。
第301飛行隊は百里基地で編成された航空自衛隊最初のF-4EJ飛行隊である。部隊マークの「カエル」は、関東の霊峰「筑波山」のガマガエルがモチーフ。「無事にカエル」の願いを込めて・・。
第301飛行隊機であるが、尾翼に第305飛行隊の部隊マーク「梅花」を復刻した機体。
第305飛行隊は百里基地発祥、茨城県といえば偕楽園の「梅花」・・かな。
第501飛行隊のRF-4Eファントム、部隊マークはウッディー・ウッドペッカー。着陸体制。
第501飛行隊は日本唯一の戦術偵察機運用部隊であり、航空総隊の直轄部隊である。
天気は生憎の曇り空、上空では主翼が雲で覆われる、撮影中にも雨がポツポツ・・。
地上展示の第501飛行隊RF-4Eファントム、洋上迷彩の青色塗装。
偵察機としてのファントムは「RF-4E」と「RF-4EJ」の2機種が運用されている。RF-4Eは非武装であり、戦闘機F-4EJから改修されたRF-4EJは機首に20㎜バルカン砲を残す武装型である。
第302飛行隊のF-4EJ改ファントム、上昇旋回時のアフターバーナー。
飛行展示を終えて着陸、ドラッグシュート展開、第302飛行隊。
「F-4EJ」は、米空軍の「F-4E(McDonnell Douglas F-4E Phantom II)」を改造した戦闘機で昭和47年(1972年)に導入、三菱重工によるライセンス生産等により昭和56年(1981年)まで生産が行われた。調達総数は154機、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一である。
F-4EJの機体寿命延長と火器管制システムの近代化、航法、通信能力の向上、搭載ミサイルの近代化、爆撃機能の向上等のため国産機中90機が改修されて「F-4EJ改」となり昭和59年(1984年)から導入された。
「F-4EJ改」主要諸元(航空自衛隊HPより)
全長19.2m、全幅11.7m、全高5.0m、最大速度:マッハ2.2、最大航続距離:約2900㎞
乗員2名、エンジン2基:J79-GE(IHI)-17
第302飛行隊は2019年に三沢基地に移動しF-35Aに機種更新。
第501飛行隊は2020年に運用機材老朽化による退役に伴い廃隊。
第301飛行隊は2020年に三沢基地に移動しF-35Aへ機種更新が行われる。
百里基地付近地図
(2016年11月下旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:筑波山
平成28年(2016年)11月に開催された百里基地航空祭。
百里基地といえば「F-4EJファントム」、平成28年(2016年)には第301飛行隊が戻ってきて、第302飛行隊、第501飛行隊と3つのF-4飛行隊が揃ったので、いざ航空祭に。
第302飛行隊のF-4EJ改ファントム、部隊マークは尾白鷲(オジロワシ)。
第302飛行隊は航空自衛隊2番目のF-4EJ飛行隊として昭和49年(1974年)に千歳基地で編成、百里基地には平成21年(2009年)に移動している。
茨城県小美玉市百里にある航空自衛隊百里基地は、昭和13年(1938年)に発足した旧海軍百里ヶ原航空隊から始まる。戦後は農地として開放されたが、昭和33年(1958年)航空自衛隊百里分屯基地が発足、飛行場完成に伴い、第206飛行隊(F-104)及び第207飛行隊(F-104)が新編され、昭和41年(1966年)に百里基地として発足した。昭和42年(1967年)第7航空団が入間基地から移駐し、対領空侵犯措置任務を開始した。
百里基地は空自で初めてF-4EJを配備、昭和48年(1973年)には第301飛行隊(F-4)が新編され、昭和50年(1975年)偵察航空隊である第501飛行隊(RF-4)が入間基地から移駐、昭和53年(1978年)には第305飛行隊(F-4)が新編され、3つのF-4飛行隊が揃う基地となった。
その後、F-15の導入に伴いF-4飛行隊の移動や機種更新があり、百里基地もF-15飛行隊体制の時期もあったが、平成21年(2009年)に第302飛行隊(F-4)が百里基地に移動し、平成28年(2016年)には第301飛行隊(F-4)が戻ってきて、第501飛行隊(RF-4)と共に再び3つのF-4飛行隊が揃う基地となる。
第301飛行隊のF-4EJ改ファントム、部隊マークはマフラーをした「カエル」。
第301飛行隊は百里基地で編成された航空自衛隊最初のF-4EJ飛行隊である。部隊マークの「カエル」は、関東の霊峰「筑波山」のガマガエルがモチーフ。「無事にカエル」の願いを込めて・・。
第301飛行隊機であるが、尾翼に第305飛行隊の部隊マーク「梅花」を復刻した機体。
第305飛行隊は百里基地発祥、茨城県といえば偕楽園の「梅花」・・かな。
第501飛行隊のRF-4Eファントム、部隊マークはウッディー・ウッドペッカー。着陸体制。
第501飛行隊は日本唯一の戦術偵察機運用部隊であり、航空総隊の直轄部隊である。
天気は生憎の曇り空、上空では主翼が雲で覆われる、撮影中にも雨がポツポツ・・。
地上展示の第501飛行隊RF-4Eファントム、洋上迷彩の青色塗装。
偵察機としてのファントムは「RF-4E」と「RF-4EJ」の2機種が運用されている。RF-4Eは非武装であり、戦闘機F-4EJから改修されたRF-4EJは機首に20㎜バルカン砲を残す武装型である。
第302飛行隊のF-4EJ改ファントム、上昇旋回時のアフターバーナー。
飛行展示を終えて着陸、ドラッグシュート展開、第302飛行隊。
「F-4EJ」は、米空軍の「F-4E(McDonnell Douglas F-4E Phantom II)」を改造した戦闘機で昭和47年(1972年)に導入、三菱重工によるライセンス生産等により昭和56年(1981年)まで生産が行われた。調達総数は154機、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一である。
F-4EJの機体寿命延長と火器管制システムの近代化、航法、通信能力の向上、搭載ミサイルの近代化、爆撃機能の向上等のため国産機中90機が改修されて「F-4EJ改」となり昭和59年(1984年)から導入された。
「F-4EJ改」主要諸元(航空自衛隊HPより)
全長19.2m、全幅11.7m、全高5.0m、最大速度:マッハ2.2、最大航続距離:約2900㎞
乗員2名、エンジン2基:J79-GE(IHI)-17
第302飛行隊は2019年に三沢基地に移動しF-35Aに機種更新。
第501飛行隊は2020年に運用機材老朽化による退役に伴い廃隊。
第301飛行隊は2020年に三沢基地に移動しF-35Aへ機種更新が行われる。
百里基地付近地図
(2016年11月下旬 撮影機材 Nikon Df )
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