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陸軍三式戦闘機「飛燕」(岐阜県) [大戦機と模型]

陸軍三式戦闘機「飛燕」・岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
岐阜県各務原市にある「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」、ここに帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」が展示されている。

三式戦「飛燕」は、川崎航空機各務原分工場(当時)にて生産された帝国陸軍の戦闘機である。展示されている機体は唯一現存する三式戦「飛燕」であり、以前は鹿児島県の知覧特攻平和会館に残念な塗装で展示されていたが、2016年に川崎重工の創立120周年記念事業において修復が行われ、無塗装となり、「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」に展示されることになった。
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展示機は三式戦二型(キ61-Ⅱ改)試作17号機、機体番号6117、陸軍航空審査部所属機。

三式戦闘機「飛燕」は第二次世界大戦中に帝国陸軍が実用化した唯一の液冷発動機装備の戦闘機であり、昭和18年(1943年)に制式採用、この年は皇紀2603年につき三式戦闘機である。開発・製造は川崎航空機(現:川崎重工)、設計主務者は土井武夫技師である。試作名称であるキ番号は「キ61」。
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三式戦二型の武装は、機首に20㎜機関砲2門、翼内に12.7㎜機関砲2門、最高速度は高度6,000mで610㎞/h、高度8,000mで591㎞/h。

三式戦「飛燕」の形状を決定づける液冷発動機は、ドイツの「DB601」を国内生産した「ハ40」発動機である。「DB601」は1936年にドイツのダイムラーベンツで開発された液冷発動機で、離昇出力は1,175馬力、陸軍と海軍で別々にライセンス購入を行い、陸軍は川崎航空機に生産させた「ハ40」を、海軍は愛知航空機に生産させた「アツタ(艦爆機「彗星」と攻撃機「晴嵐」に搭載)」を採用した。

三式戦一型には「ハ40」が搭載されたが、性能向上のため離昇出力を1,175馬力から1,500馬力に高める「ハ140」の開発が進められ、三式戦二型には「ハ140」発動機が搭載された。
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展示されている「ハ140」発動機、展示機体は三式戦二型である。

三式戦の総生産数は各型合わせて約3,000機と多いが、三式戦二型は高出力型「ハ140」の不具合多発により発動機の製造が追いつかず、完成機となったものは99機程度らしい。

液冷発動機には冷却のためラジエターが必要、三式戦「飛燕」は胴体下部中央にラジエター・ダクトを設置し、機体の空気抵抗低下と冷却効率の両立を図っている。
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三式戦二型のラジエター「水・潤滑油冷却機」、中央部分がオイルクーラー。
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三式戦「飛燕」の主翼は全幅12m、面積20㎡、アスペクト比7.2という高い比率の翼形を採用した。
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無塗装の翼と胴体の日の丸は投影によるもので、間欠投影、タイミングを測って撮影。

三式戦「飛燕」の操縦席計器類。
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展示場所は博物館の「戦中の航空機開発エリア」、頭上には十二試艦上戦闘機(A6M1)の1/1模型。
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十二試艦戦は海軍零式艦上戦闘機の試作機である。設計主任はジブリ映画「風立ちぬ」の主人公でもある堀越二郎技師、十二試艦戦試作一号機は昭和14年(1939年)に各務原飛行場で初飛行している。開発の経緯は堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」に詳しい。

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の入り口にあった陸軍三式戦闘機「飛燕」の図。
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連合軍におけるコードネームはTonyである。

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館付近地図


(2019年3月下旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
読んだ本(Amazonの該当頁へ):堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」
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