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靖國の零戦52型(東京都) [大戦機と模型]

靖國の零戦52型
靖國神社は明治2年(1869年)に明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称されて現在に至る。国のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を後世に伝えることを目的に創建された。ここに零戦52型が展示されている。

靖國神社の拝殿に向かって右奥にある「遊就館」、入口のホールに零式艦上戦闘機がある。
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本機は河口湖自動車博物館・飛行舘で復元された機体で、零式艦上戦闘機52型(A6M5)である。

零式艦上戦闘機は、昭和12年(1937年)堀越二郎技師を設計主任として三菱重工にて開発が進められ、昭和15年(1940年、皇紀2600年)海軍に制式採用された。第二次世界大戦を通して海軍の主力戦闘機であり、幾多の型式を持つ。堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」に詳しい。

「遊就館」は遺品、武具、武器が展示されており、戦争歴史博物館の感があるが、館名の「遊就」は高潔な人物に交わり学ぶとの意味で、靖國の英霊に学ぶという願いが籠められている。

右前方から撮影、翼根元の味方機識別帯(黄色い帯)にある黒い穴は操縦席用空気取入れ口。
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零式艦上戦闘機の製造は三菱重工と中島飛行機(現:SUBARU)で行われ、三菱で3,880機、中島で6,545機と合わせて10,425機が製造された。

左後方から撮影、ステンシルの製造番号から三菱製「4240」号機であることが確認できる。
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機体後方の塗装も、52型では水平尾翼下の胴体部に灰色を塗らないのが三菱製の塗装である。
尾翼記号は「81-181」。第381海軍航空隊、豊橋基地。

風防の中には98式射爆照準器。
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靖國神社付近地図


(2010年3月中旬 撮影機材 Nikon D80)

読んだ本(Amazonの該当頁へ):堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」
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