SSブログ
博物館・展示館 ブログトップ
前の5件 | -

三沢航空科学館(青森県) [博物館・展示館]

青森県立三沢航空科学館
青森県三沢市に平成15年(2003年)に開館した三沢航空科学館、大空と飛翔をテーマにした航空と科学の博物館である。航空自衛隊とアメリカ空軍、さらには民間の飛行場でもある三沢空港と隣接しており、科学館の展望台から空港が見渡せる。

科学館の館内には航空機の実機やレプリカが展示されており、飛行機好きにはたまらない。
この航空機展示場(航空ゾーン)の奥に零戦21型(A6M2b)のレプリカが展示されていた。
IMG_0268-00660.jpeg
本機は平成23年(2011年)に上映された映画「山本五十六」で使用された零戦21型の原寸大レプリカである。塗装は昭和17年(1942年)ラバウル、台南航空隊の坂井三郎乗機である。
IMG_0274-b2680.jpeg
坂井三郎といえば「大空のサムライ」、興味のある方は一読を。

零戦と同じフロアには旧日本陸軍一式双発高等練習機が展示されている。
IMG_0265.jpeg
この機体は平成24年(2012年)十和田湖より引き上げられた。そのままの姿である。

三沢航空科学館には「大空ひろば」が隣接しており、野外で航空機が展示されている。

F-16A
米ジェネラル・ダイナミクス社製、第4世代ジェット戦闘機。米空軍機。
IMG_0279-fbfa0.jpeg
愛称はファイティング・ファルコン(Fighting Falcon)、戦う隼である。

F-1
三菱重工が開発した第3世代ジェット戦闘機。航空自衛隊の支援戦闘機である。
IMG_0284-1ba7c.jpeg
昭和52年(1977年)から導入が始まり77機が配備、平成18年(2006年)には全機退役している。
本機、機首の兜武者は航空自衛隊第3飛行隊(三沢基地)の部隊マークである。

F-104J
米ロッキード社製であるが三菱重工にてライセンス生産された。第二世代のジェット戦闘機。
IMG_0281-1c6a9.jpeg
愛称はスターファイター(Starfighter)、航空自衛隊では「栄光」の愛称。
昭和37年(1962年)から昭和42年(1967年)までに210機が導入、昭和61年(1986年)退役。

F-4EJ改
米マクドネル社が開発した戦闘機、三菱重工でライセンス生産された。
IMG_0289-4010c.jpeg
愛称はファントム II(Phantom II)、アメリカ以外での生産が承認されたのは日本のみである。
昭和46年(1971年)から航空自衛隊に配備、日本の主力戦闘機として運用されてきたが、退役の時を迎えている。F-4EJは140機導入、内90機がF-4EJ改に改修され運用された。

三沢航空科学館付近地図


(2013年10月上旬 撮影機材 Apple iPod touch)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):「大空のサムライ」坂井三郎著
観た映画(Amazonの該当頁へ):「山本五十六」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

長崎にて(長崎県)九一式魚雷 [博物館・展示館]

長崎にて
長崎出張の折、iPhoneで撮った「九一式魚雷」「花月の柱」「眼鏡橋」。

「九一式魚雷」
三菱重工長崎造船所史料館に展示されている大日本帝国海軍の九一式魚雷。
IMG_0163-f7201.jpeg
空中姿勢安定板を装着した展示が珍しかったので撮影、九一式魚雷は昭和6年(1931年)から配備された航空魚雷である。九七式艦上攻撃機等に搭載されて艦船攻撃に使用された。木製の空中姿勢安定板「框板(きょうばん)」は脱落式で、落下する魚雷の軸線が航空機の雷道線と一致する様に装着された。また、真珠湾の様に浅い港湾で魚雷が海底に突き刺さらない様にするために、側胴に制御板が装備された。

三菱重工長崎造船所資料館付近地図


「花月の柱」
丸山の料亭「花月」の座敷にある、海援隊の面々が酔って切りつけたという刀傷がある柱。
IMG_0151-36241.jpeg
「花月」は旧遊郭「引田屋」、亭内には坂本龍馬や岩崎弥太郎ゆかりの品々が展示されている。昭和35年(1960年)に長崎県から史跡に指定された、長崎の卓袱料理がいただける料亭。女将のお話が終わらないと料理には手をつけられない、お話は徳川家光の時代から始まるのでちと長い。
「花月」公式サイト:http://www.ryoutei-kagetsu.co.jp/

「眼鏡橋」
長崎で有明な眼鏡橋、正面から撮らないと眼鏡に見えない・・。
IMG_0149-49dcf.jpeg
寛永11年(1634年)建造、中島川に架かる日本初の石造りアーチ橋、重要文化財。

眼鏡橋付近地図


(2014年3月上旬 撮影機材 Apple iPhone 5s)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三菱重工名航史料室(愛知県) [博物館・展示館]

三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場 史料室
三菱重工名航史料室には、三菱重工が関与してきた航空機技術に関する一次資料と所蔵品の展示がなされており、零式艦上戦闘機(零戦)と局地戦闘機「秋水」の復元機が展示されていた。見学は予約制であるが撮影は自由であった。残念ながら2017年5月にて休室し、現在は同製作所大江工場に移設・再整理されている。大江工場の史料室も予約制であるが、撮影は一切禁止の模様である。三菱重工HPより)

本記事は2015年6月の訪問記である。

零式艦上戦闘機52型甲(A6M5a)、史料室には色々な展示品が所狭しと置かれている。
DSC_0412-14986.jpeg
本史料室の零戦は、昭和63年(1988年)にミクロネシア連邦ヤップ島から回収、三菱重工にて復元された零戦52型甲である。

零式艦上戦闘機は、昭和12年(1937年)堀越二郎技師を設計主任として三菱重工にて開発が進められ、昭和15年(1940年、皇紀2600年)海軍に制式採用された。第二次世界大戦を通して海軍の主力戦闘機であり、幾多の型式を持つ。堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」に詳しい。

日本初のロケットエンジンを搭載した局地戦闘機「秋水」。
DSC_0402-9d1c0.jpeg
秋水は、昭和19年(1944年)に陸軍と海軍が共同で開発を進めた局地戦闘機。ドイツのメッサーシュミットMe163の資料を基に設計を始めたが、試作機で終わった。正式名称は試製秋水、海軍の略符号はJ8M、陸軍のキ記号はキ200である。
DSC_0406-13851.jpeg
元祖、たまごヒコーキ・・・かな。

航空発動機用の中空バルブ、ここまで軽くするんだと感じ入る展示。
DSC_0397.jpeg
技術史料である。

現在の戦闘機(F-2)に使用されている、炭素繊維複合材一体成型主翼の試作品展示。
DSC_0399-17dde.jpeg
自衛隊の戦闘機F-2には軽量化のため、世界初の複合材一体成型主翼が使用されたとの解説。

史料室に入る通路脇には、三菱重工が戦後ライセンス製造した機体や試作機の初号機が展示されていた。

HSS-2B型の初号機、海上自衛隊の対潜戦・捜索救難・輸送用ヘリコプター。
DSC_0416-372d8.jpeg
米国シコルスキー社との技術提携、昭和39年から平成2年まで167機製造。

T-2試作初号機。
DSC_0415-6e6c9.jpeg
T-2は日本で初めて開発された超音速ジェット機であり、航空自衛隊で高等練習機として用いられた。

史料室入口付近には、三菱財閥4代目社長 岩崎小弥太の筆による「寂然不動」の額が飾られている。
DSC_0427a-6d007.jpeg
「寂然不動」は全三菱武道大会の記念品として配られた手拭いの文言である。原本にここで出会うとは思わなかった・・手拭いは大事に持っている。

三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場付近地図


三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所 大江工場付近地図


(2015年6月中旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

帝国戦争博物館(ロンドン) [博物館・展示館]

帝国戦争博物館(Imperial War Museum:略称IWM)
帝国戦争博物館(ロンドン)はイギリスの国立博物館、大戦の記録を残す博物館として1917年に設置され、1920年に第一回万国博覧会の会場であった水晶宮で開館した。現在の場所、元王立ベスレム病院があった場所に移転されたのは1936年であると云う。         (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_2744.jpeg

ツアー最終日は空港に向かうまで自由時間、朝から地下鉄に乗って訪れた。大戦機の趣味を自負する者としては、是非とも見ておきたい博物館である。宿泊先のコプソーン・タラ・ホテル(Copthorne tara hotel)は地下鉄High Street Kensington駅が至近、この駅から帝国戦争博物館のあるLambeth North駅に向かう。

場所のランベスという所はテムズ川を挟んでウエストミンスターの向こう側、途中乗り換えがあるがなんとか着いた。駅からは徒歩数分で着く、iPhoneのMapを頼りに・・。
DFI_2683-797e7.jpeg
入り口はわかりにくく建物の右奥、入場は無料だが、10£を募金箱に入れた。

正面に展示されているのは、クイーン・エリザベス級戦艦 (Queen Elizabeth class Battleship)主砲である42口径15inch(38.1㎝)砲が二連。
DFI_2742-09e34.jpeg
クイーン・エリザベス級戦艦は一番艦が1915年就役、第一次、二次の両大戦に参戦している。
DFI_2741-9ee32.jpeg
左右で違う艦の砲らしく、右側の砲はノルマンディ上陸作戦の時に艦砲射撃用として使用されたと云う。

館内ロビーにはスピットファイア(Spitfire)Mk.Ia、ドイツ軍のV-1及びV-2ミサイル、VTOL機ハリアー(Hawker Siddeley Harrier)と、マニア垂涎の展示品が吊るされている。
DFI_2686-b450a.jpeg
お付き合いの妻はロビーで休憩、館内撮影OKなので、私は各フロアの探索へ・・。

アメリカ軍M4中戦車(Medium Tank M4)、通称シャーマン(Sherman)。
DFI_2717-2a937.jpeg
37.5口径75㎜戦車砲を主砲とした、第二次大戦における連合国の主力戦車、展示品はM4A4型。
ブラッド・ピッド主演の映画「フューリー(Fury)」に登場する主役の戦車「Fury」がM4中戦車(映画ではM4A3E8の設定)である。

何故かここに広島型原爆である「リトルボーイ(Little Boy)」のレプリカが展示されている。
DFI_2694-40b5f.jpeg
高濃縮ウランを用いたガンバレル型の原子爆弾、積載したウラン約65㎏のうち、1.38%が核分裂反応を起こしたと推定されているらしい。核出力は推定15kt。ちなみに人類初の核実験、かつ長崎に投下された原爆「ファットマン(Fat Man)」はプルトニウムを用いたインプロージョン方式の原爆である。

帝国戦争博物館は、この帝国戦争博物館(IWMロンドン)以外にも、分館としてテムズ川に係留されている軽巡洋艦ベルファスト、イギリス大蔵省庁舎地下のチャーチル博物館、ダックスフォードにダックスフォード帝国戦争博物館(IWMダックスフォード)、マンチェスターに北帝国戦争博物館(IWMノース)と、全部で五つの博物館がある。

帝国戦争博物館(ロンドン)付近地図


帝国戦争博物館分館「軽巡洋艦ベルファスト(HMS Belfast, C35)」
タワーブリッジの近く、テムズ川の岸辺にはイギリス海軍のタウン級軽巡洋艦ベルファスト(HMS Belfast, C35)が係留されている。ベルファストは1939年に就役、大戦や朝鮮戦争を経て1963年に退役した。その後、帝国戦争博物館の分館としてテムズ川に展示される事となった。
DFI_2647-b8755.jpeg
艦名は北アイルランドの首府ベルファストに因む。排水量11,553t、全長613ft(187m)、タービン4基の4軸推進、出力80,000shp、速力32kt(59㎞/h)、主な兵装はMk XXIII 6inch三連装砲4基。

ツアーはJALPAK「エジンバラと湖水地方を訪ねる・イギリス縦断8日間」に参加。

(2018年5月中旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:JALPAK「エジンバラと湖水地方を訪ねる・イギリス縦断8日間」
観た映画(Amazonの該当頁へ):「フューリー(Fury)」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

帝国戦争博物館(ロンドン)ドイツ軍の兵器 [博物館・展示館]

帝国戦争博物館(Imperial War Museum:略称IWM)
帝国戦争博物館(ロンドン)は、大戦の記録を残すイギリスの国立博物館である。ここには、第二次世界大戦で敵国であったドイツ軍の兵器も展示されている。

博物館のロビーに入ると、イギリス軍戦闘機「スピットファイア」と共にドイツ軍のミサイル兵器である「V-1」「V-2」が展示されているのが目に入る。「ハリアー」もあるけど・・。
DFI_2686-b450a.jpeg

V-1(Vergeltungswaffe 1) Vergeltungswaffe:報復兵器
「V-1」は、第二次世界大戦時にドイツ空軍が開発したミサイル兵器であり、現在の巡航ミサイルの始祖とも言える兵器である。パルスジェットエンジンを搭載したミサイルで、正式名称はフィーゼラー社が生産したことから「Fi 103」と云う。
DFI_2685.jpeg

1942年6月ドイツ空軍はフィーゼラー社に対してジェットエンジンを動力とする飛行爆弾の開発を命じた。しかし「V-1」として実戦配備となったのは1944年6月で、ノルマンディー上陸作戦の1週間後、空軍第155対空連隊に配備される。弾頭にはアマトール850 kg、動力はパルスジェットエンジン:推力300㎏(750hp相当)、最大速度は約600㎞/h、航続距離は約250㎞である。

実際に発射された「V-1」は20,000発以上であるが、多くの発射失敗と大多数が撃墜・墜落し、ロンドンに到達したのは1割程度とみられる。

V-2(Vergeltungswaffe 2)ロケット
DFI_2687-c51f0.jpeg
「V-2」は、第二次世界大戦中にドイツが開発した世界初の軍事用液体燃料ミサイルであり、弾道ミサイルである。後にアメリカ合衆国でアポロ計画を主導したヴェルナー・フォン・ブラウンが計画に参加し設計を行ったことで知られる。弾頭にはアマトール980kgを搭載、航続距離は約300㎞である。

「V-2」は超音速で飛来し、既存の兵器では迎撃不可能であったが、発射されたミサイルは故障・暴発・空中分解等で多数が失われ、ロンドンに到達したのは500機程度(約半数)であったと云う。「V-2」はドイツ陸軍所管で、1944年9月に第444並びに第485砲兵大隊に配備された。

V-1もV-2も当時の技術では特定目標を照準できず、命中精度は実用的ではないくらい低い。とはいえ、ロンドン市民は平穏な生活が妨げられ、大きな脅威となった。

G7魚雷
DFI_2726-91030.jpeg
「G7」はドイツ海軍Uボート並びに水上艦艇で使用された魚雷である。直径533mm、全長7,163mm、蒸気エンジン方式の「G7a」では雷速が射程により30kt(射程12,500m)40kt(7,500m)44kt(5,000m)と選べ、炸薬量は280㎏であった。魚雷先端の「ひげ」は接触式信管である。

エニグマ (Enigma)
第二次世界大戦でドイツが用いたローター式暗号機、暗号機によって作成される暗号も広義にはエニグマと呼ばれる。意味は本義でもある「謎」。
DFI_2722-1b797.jpeg
エニグマ暗号機は、1918年にドイツの発明家アルトゥール・シェルビウスによって発明された電気機械式暗号機械で、1925年にはドイツ軍が正式に採用。暗号方式は換字式であり、詳しくは順変多表式である。

大戦中に英国はエニグマ解読に成功したが、その事実は徹底して秘密にされ、ドイツ軍は終戦までエニグマを使用し続けた。エニグマ解読を題材とした映画「イミテーション・ゲーム」は、天才数学者アラン・チューリングを主人公とし、解読までのドラマと、その事実を秘密にする事による葛藤が描かれている。

帝国戦争博物館(ロンドン)付近地図


ツアーはJALPAK「エジンバラと湖水地方を訪ねる・イギリス縦断8日間」に参加。

(2018年5月中旬 撮影機材 Nikon Df )
観た映画(Amazonの該当頁へ):「イミテーション・ゲーム」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の5件 | - 博物館・展示館 ブログトップ