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横須賀クルーズ(神奈川県)猿島 [軍事遺構]

横須賀クルーズ・猿島
サンケイツアーズ主催「横須賀クルーズ」に参加、朝8時40分に三笠公園に集合、記念艦「戦艦三笠」にて横須賀の歴史について説明を受け、クルーズ船に搭乗、「猿島」「第二海堡」「横須賀軍港」を巡るツアーである。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の気分だけど、浪は穏やかであった・・。

「猿島」は東京湾内最大の自然島で、神奈川県横須賀市に所属、現在は無人島である。かつては砲台が設置され、東京湾の首都防衛拠点であった。現在は歴史遺産散策、磯遊び、バーベキュー、釣り、夏には海水浴ができる「猿島公園」として整備されている。

「猿島」全景、クルーズ船より撮影。
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「猿島」は三笠公園「戦艦三笠」より東方約1.75㎞沖合に浮かぶ。

クルーズ船より三笠公園「戦艦三笠」を撮影。          (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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猿島桟橋、海水浴場が右側に。
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猿島は幕末に国内初の台場が築造され、明治には陸軍省・海軍省の所管となって東京湾要塞の猿島砲台が築造された。島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、歴史遺産散策の対象となっている。
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苔生す煉瓦。
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第二次世界大戦後は1961年まで米軍に接収されていたが、その間にも渡船の運航が始まり、海水浴場が開かれたらしい。その後、横須賀市が国から無償譲与を受け「猿島公園」として整備し、現在に至ると云う。

桟橋からクルーズ船を撮影、遠方に戦艦「三笠」。
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(2018年6月上旬 撮影機材 Nikon Df )

猿島付近地図


「猿島」上空から(2023年2月18日JAL236便(岡山〜羽田)搭乗時に撮影)
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関連ブログ:戦艦三笠
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横須賀クルーズ(神奈川県)第二海堡 [軍事遺構]

横須賀クルーズ・第二海堡
サンケイツアーズ主催「横須賀クルーズ」に参加、朝8時40分に三笠公園に集合、記念艦「戦艦三笠」にて横須賀の歴史について説明を受け、クルーズ船に搭乗、「猿島」「第二海堡」「横須賀軍港」を巡るツアーである。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の気分だけど、浪は穏やかであった・・。

海堡は、海上に人工的に造成した島に砲台を配置した洋上要塞である。東京湾には明治から大正にかけて首都防衛のため三箇所に人工島が造成された。第一海堡、第二海堡は千葉県の富津岬沖、第三海堡は神奈川県の観音崎沖である。海保の完成後は、陸軍兵舎や砲台が建設され、自然島である「猿島」とあわせて、東京湾口に存在する首都防衛ラインの一環として運用された。

現存する「第二海堡」に近づく。
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大正12年(1923年)9月の関東大震災で各海堡は被災したが、第一海堡はその後も運用を継続、第二海堡と第三海堡は復旧困難と判断され廃止・除籍された。しかし、第二海堡は帝国海軍により対空砲が設置され、敵潜水艦の侵入を防ぐ防潜網も設置と大戦中に運用される事になる。

「第二海堡」と右奥に小さく「第一海堡」が見える。       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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「第一海堡」
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1881年8月起工、1890年12月完成。富津市に属する。富津岬の沖合いすぐに位置し、面積は約23,000㎡。第二次世界大戦後は連合国軍により要塞無力化のため施設は破壊された。

「第二海堡」
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1889年8月起工、1914年6月完成。富津市に属する。浦賀水道と内湾の北側境界に位置し面積は約41,000㎡。第一海堡同様に大戦後は連合国軍により爆破処理されたが、ここには海上保安庁によって灯台が設置された。現在は消防演習場として使われ、観光ツアーも認められている。
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関東大震災で廃止・除籍された「第三海堡」は浦賀水道航路に隣接していたが、海上交通の航路確保のため撤去された。(2007年8月に完了)

「第二海堡」をあとに横須賀軍港に向かう。
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(2018年6月上旬 撮影機材 Nikon Df )

第二海堡付近地図


「第二海堡」上空から(2023年2月18日JAL236便(岡山〜羽田)搭乗時に撮影)
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横須賀散策(神奈川県)ヴェルニー公園 [軍事遺構]

横須賀散策(神奈川県)ヴェルニー公園
横須賀港の臨海公園である「ヴェルニー公園」、横須賀市の市立公園で平成13年(2001年)にオープンした公園。米海軍横須賀基地と海上自衛隊横須賀基地に隣接しており、日米の艦船を観ることができる。公園の名称はかつての横須賀造兵廠の建設を指導、日本の近代化に貢献したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーに由来する。

ここはかつての横須賀軍港「逸見波止場」、衛門跡が公園入り口に残る。
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横須賀市汐入町、最寄駅はJR横須賀駅。
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公園内には戦艦陸奥の41センチ主砲が展示されている。      (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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戦艦陸奥は大正10年(1921年)に就役、横須賀海軍工廠で建造された長門型戦艦の2番艦であるが、昭和18年(1943年)6月、柱島沖で原因不明の爆発事故を起こし沈没した。戦後に浮揚作業が行われ、展示されている砲は四番砲塔の一門、昭和11年(1936年)横須賀海軍工廠で大改修の際に新たに搭載されたものと云う。

海上自衛隊基地に停泊する砕氷艦「しらせ」、公園内のデッキから撮影。
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防衛省では「砕氷艦」、文部科学省では「南極観測船」、この「しらせ」は二代目であり平成21年(2009年)の就役である。ちなみに初代「しらせ」は千葉県船橋市の京葉埠頭に繋留・展示されている。

公園の中央には薔薇が植栽されており、この日も手入れが行われていた。
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よこすか近代遺産ミュージアム「ティボディエ邸」内から撮影。

米海軍基地に並ぶ、駆逐艦らしき艦艇。
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右側の船は艦首に「83」と見えるので、「USS Howard(ハワード)DDG-83」ミサイル駆逐艦であろう。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の33番艦、2001年就役、第7艦隊所属。

米海軍基地なのに海上自衛隊の潜水艦が停泊。          (Shutterstock my portfolioに掲載)
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潜水艦は艦体に何も書いてないので艦名が分からない、艦尾の旭日旗で自衛隊艦船と識別。

ヴェルニー公園付近地図


(2022年10月上旬 撮影機材 Nikon Df )
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横須賀海軍施設(神奈川県)Dry Dock [軍事遺構]

横須賀海軍施設「Dry Dock」
横須賀海軍施設とは米海軍横須賀基地(U.S. Fleet Activities Yokosuka FAC3099)のこと。
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ここは、慶応元年(1865年)幕府により横須賀製鉄所が設けられ、明治になり横須賀造船所に、明治35年(1903年)以降は帝国海軍により横須賀海軍工廠として使用された。昭和20年(1945年)敗戦後は米軍により接収され現在に至る。日本政府の公的資料では横須賀海軍施設と呼称されるらしい。

現在も基地内には幕末に建設された大型艦船用「Dry Dock」が残っており、かつ使用されている。今回、横須賀市観光協会主催の「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して、基地内の「Dry Dock」を見学した。

日本最古の「Dry Dock #1(DD1)」1号ドック。
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明治4年(1871年)完成。全長137m、幅29m、深さ9m。

幕末における建設には、フランス人技師レオンス・ヴェルニーと幕府勘定奉行の小栗上野介(忠順)が深く関与している。ヴェルニーは米軍基地の向かいにある「ヴェルニー公園」にその名を残すが、小栗上野介は明治4年(1871年)官軍により捕縛され、取調べも受けぬまま斬首された・・。

「Dry Dock #2(DD2)」2号ドック。             (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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明治17年(1884年)完成。全長156m、幅32m、深さ11m。

ドックの製造にあたってはフランス技師の設計によるため、日本で初めてメートル法が使われている。帝国海軍は英海軍を模範としているが、長さの単位は一貫してメートル法を守った。日本で正式にメートル法が実施されるのは昭和34年(1959年)からである。

基地内を奥に進むと「Dry Dock No.6」6号ドックがある。
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昭和15年(1940年)完成。戦艦大和・武蔵に次ぐ三番艦製造のため造られ、完成後すぐに戦艦信濃の
起工が始まったが、ミッドウェー敗戦に伴い「空母」信濃への製造変更となった。昭和19年(1944年)竣工した「空母信濃」は追加工事のため呉海軍工廠に回送、途中、米軍の魚雷攻撃により沈没した。竣工後10日であった。全長365m、幅67m、深さ17mの大型ドックであるため、現在も米軍空母用のドックとして使用されている。

幕末から昭和にかけて造られた船渠(ドック)がみられるのは、この横須賀海軍施設だけであると云う。
明治に造られたドックには「日本遺産(Japan Heritage)」の看板が立てられていた。

横須賀海軍施設付近地図


(2022年10月上旬 撮影機材 Nikon Df )
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