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戦艦大和と零戦62型(広島県) [大戦機と模型]

戦艦大和と零戦62型
戦艦大和の1/10模型が置かれている呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)、ここに旧日本海軍の零式艦上戦闘機62型が展示されている。零戦62型(A6M7)は爆戦で250キロ爆弾投下装置を装備し、水平安定板を補強、増槽は2個に分けて左右翼下に移す等の改造が行われている。

九九艦爆の性能が時代遅れとなり、後継機彗星の小型空母運用が困難なため、代用として零戦を急降下爆撃機として改造したという苦肉の策である。

型式について大和ミュージアムでは62型と表記されているが、堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」にはA6M7は63型として記載されている。幾多の雑誌等でもA6M7の62型と63型は混在しており、発動機が栄21型か栄31型かの混乱によるものと思われるが、よくわからない。併記してある本もある。

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部隊表記は第210海軍航空隊、愛知県明治基地。
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戦艦大和の1/10模型、後方から撮影、零式水上観測機(零観)を搭載している。
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中庭のデッキは戦艦大和の左半分を実寸大で表現、「戦艦大和」の大きさが実感できる。
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大和ミュージアムの近くにある海上自衛隊呉資料室「てつのくじら館」。
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実物の潜水艦「あきしお」が展示されており、潜水艦内部の見学という貴重な体験ができる。

零戦手拭と零戦52型丙、手拭は大和ミュージアムのお土産。     零戦52型丙は自作の模型(TAMIYA製)
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大和ミュージアム付近地図


(2007年9月 撮影機材 Nikon D80)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」
作った模型:零戦52型丙(TAMIYAのHPへ)
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科博の零戦21型(東京都) [大戦機と模型]

科博の零戦21型
上野の国立科学博物館に展示されている、旧日本海軍の零式艦上戦闘機21型。

昭和47年(1972年)ラバウル北西ニューブリテン島沖から引き上げられ、オーストラリアで修復後、購入された方から国立科学博物館に昭和49年(1974年)に寄贈された。

本機は21型(A6M2b)をベースに複数の機材から作られており、偵察用の複座に改造されている。以前は本館脇の通路に展示されていたと記憶しているが、現在は地球館2階できれいに展示されている。

地球館の2階奥に鎮座する零戦21型、正面から撮影。全幅12m。
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プロペラ直径は2.9m。住友ハミルトン式恒速プロペラ(ピッチ変更範囲25度〜45度)。可変ピッチプロペラの採用により、巡航飛行時の燃費が向上、零戦の長い航続距離が可能になった。

カウリングなしでの展示、搭載エンジンは中島製「栄12型」。
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栄12型は星型空冷14気筒、総容量27.9ℓ、950馬力。

右下からの写真、着艦フックが確認できる・・艦上戦闘機だからね。
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尾翼記号は「53-122」。第253海軍航空隊、ニューブリテン島/ラバウル基地。

国立科学博物館付近地図


(2018年1月 撮影機材 Nikon1 J5)
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靖國の零戦52型(東京都) [大戦機と模型]

靖國の零戦52型
靖國神社は明治2年(1869年)に明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称されて現在に至る。国のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を後世に伝えることを目的に創建された。ここに零戦52型が展示されている。

靖國神社の拝殿に向かって右奥にある「遊就館」、入口のホールに零式艦上戦闘機がある。
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本機は河口湖自動車博物館・飛行舘で復元された機体で、零式艦上戦闘機52型(A6M5)である。

零式艦上戦闘機は、昭和12年(1937年)堀越二郎技師を設計主任として三菱重工にて開発が進められ、昭和15年(1940年、皇紀2600年)海軍に制式採用された。第二次世界大戦を通して海軍の主力戦闘機であり、幾多の型式を持つ。堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」に詳しい。

「遊就館」は遺品、武具、武器が展示されており、戦争歴史博物館の感があるが、館名の「遊就」は高潔な人物に交わり学ぶとの意味で、靖國の英霊に学ぶという願いが籠められている。

右前方から撮影、翼根元の味方機識別帯(黄色い帯)にある黒い穴は操縦席用空気取入れ口。
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零式艦上戦闘機の製造は三菱重工と中島飛行機(現:SUBARU)で行われ、三菱で3,880機、中島で6,545機と合わせて10,425機が製造された。

左後方から撮影、ステンシルの製造番号から三菱製「4240」号機であることが確認できる。
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機体後方の塗装も、52型では水平尾翼下の胴体部に灰色を塗らないのが三菱製の塗装である。
尾翼記号は「81-181」。第381海軍航空隊、豊橋基地。

風防の中には98式射爆照準器。
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靖國神社付近地図


(2010年3月中旬 撮影機材 Nikon D80)

読んだ本(Amazonの該当頁へ):堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」
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知覧の隼(鹿児島県) [大戦機と模型]

知覧の隼(一式戦)
鹿児島県南九州市知覧町郡にある知覧特攻平和会館。第二次世界大戦末期の沖縄戦における陸軍特攻隊員の遺品や関係資料を展示してある。入口は霊安室的な雰囲気。

この知覧特攻平和会館の入口前に陸軍一式戦闘機「隼」が展示されている。

知覧町に陸軍の飛行場が作られたのは昭和16年(1941年)、福岡県の大刀洗陸軍飛行学校の分教所として少年飛行兵や幹部候補生の教育と訓練が行われた。昭和20年(1945年)戦況の変化に伴い、陸軍飛行学校は教導飛行師団となり、知覧分校は第6航空軍に属する知覧特攻基地となる。

沖縄戦における第6航空軍に属する特別攻撃隊の総称を「振武隊」という。

入口前展示の陸軍一式戦闘機「隼」。知覧での特攻隊を描いた映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」(2007年公開)のために制作されたレプリカである。
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「隼」は陸軍航空本部が公開にあたり付けた愛称で、兵器としての制式名称は「一式戦闘機」、試作名称は「キ43」である。昭和12年(1937年)に中島飛行機に一社特命で開発指示がなされ、設計課長の小山技師を設計主務者に、太田技師や糸川技師等が「キ43」の設計を開始した。昭和14年(1939年)には試作機が陸軍に納められたが、評価は芳しくなかった。しかし、時代は英米戦争前夜であり、若干の改造要求を経て昭和16年(1941年)「一式戦闘機」として制式採用された。

「隼」には開発・導入の段階に従って各型が存在する。

「隼1型」は99式950HP発動機(ハ25)、プロペラは2.90mの住友ハミルトン可変ピッチ式2翅、武装は7.7㎜機関銃2挺(12.7㎜に換装もあり)、全幅は11.437mである。
太平洋戦争開戦当時「隼1型」が配備されていたのは陸軍飛行第59戦隊と第64戦隊の2個戦隊のみ。この第64戦隊が名高い「加藤隼戦闘隊」であり、マレー進攻作戦に参加し戦前の映画にも出てくる。

レシプロ戦闘機を駆る用心棒集団を描いたアニメ「荒野のコトブキ飛行隊」で主人公キリエの乗機も同じく「隼1型」である。戦闘機と少女という荒唐無稽なお話であるが、戦闘機はよく描かれていて、マニアのおじさん向けかも・・。

「隼2型」は2式1150HP発動機(ハ115)、プロペラは2.80mの住友ハミルトン恒速型3翅に変更、武装は12.7㎜機関砲2門、主翼が切り詰められアスペクト比が変更、全幅は10.837mになった。

「隼3型」は発動機を水メタノール噴射式に換装、速度向上を図ったが、戦況の悪化もあって、その多くは特攻機として散っていった。知覧特攻平和会館入口前に展示のレプリカはこの型である。

「一式戦」は開発段階から燃料タンクに防弾性能を付与、2型では操縦席背中に防弾鋼板装着があった。海軍の「零戦」と比較される「一式戦」だが、搭乗員の生残性への配慮は陸軍が一歩進んでいたと感ずる。尚、発動機遷移は「零戦」と同じ(ハ25は栄12型、ハ115は栄21型で両方とも中島製)だが、2型以降のプロペラ径は「零戦」の方が若干大きい。

「隼」設計者の一人である糸川技師は戦後日本のロケット研究者として有名である。小惑星「イトカワ」の岩石採取に向かった小惑星探査機の命名「はやぶさ」は、この関係を彷彿させます。

知覧特攻平和会館付近地図


JR鹿児島中央駅から知覧行きのバスに揺られて約1時間半、遠かった・・。

(2010年7月上旬 撮影機材 Nikon D80)
関連ブログ:「はやぶさ」
観た映画(Amazonの該当頁へ):「俺は、君のためにこそ死にに行く」「荒野のコトブキ飛行隊」
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懐かしの模型 [大戦機と模型]

懐かしの模型
久々に行った全日本模型ショーで出会った懐かしの模型、少年だった数十年前の記憶が蘇る。

ドイツ潜水艦「Uボート」
第一次および第二次世界大戦で運用されたドイツ海軍の潜水艦。「U-Boot」は「Unterseeboot」の略語で「水の下の船」を意味する。第一次大戦で約300隻、第二次大戦で1,131隻が建造されている。仕様は各型により異なるが、第二次大戦中はⅦ型が主力で改造を重ねながら約700隻建造された。
Ⅶ型は基準排水量769トン、全長67.1m、全幅6.2m、速力水上17.7kt、水中7.6kt、乗員約50名。

模型はモーター駆動でレーダの部品に付いている錘が昇降舵と連動し自動で浮き沈みする。
(水上では潜行に、潜行したら浮上にと艦の傾きと錘によって昇降舵が動く、画期的な仕組み。)
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母方の実家の野菜を洗うため池で試運転、我が「Uボート」は潜行したまま浮上せず・・。

大人になって、映画「Das Boot(邦題:Uボート)」を観た。映画の始まりは濁った海中から「Uボート」が徐々に現れてくるシーンから。僕のため池「Uボート」と思いが重なる。潜水艦映画にハズレなしというが、緊迫感があり、戦争の無情さを描いたいい映画だと思う。男の映画だ。

帝国海軍潜水空母「伊401」
第二次世界大戦中に就航した潜水艦で、特殊水上攻撃機「晴嵐」を3機搭載していた潜水空母。呉工廠で竣工、同型艦が3隻就航(伊400、伊401、伊402)したが、戦果をあげる前に終戦を迎えた。終戦後は海没処分となり、「伊400、伊401」はハワイ沖に、「伊402」は五島列島沖に眠っている。
基準排水量3,530トン、全長122m、全幅12m、速力水上18.7kt、水中6.5kt、乗員157名。

模型は「Uボート」と同じく自動浮沈する模型、特殊水上攻撃機「晴嵐」が付属していた。
当時少年サンデーに連載していた漫画「あかつき戦闘隊」にこの「伊400型」潜水空母の話が出てくる。ラストでは終戦となり伊号と晴嵐が傷心で富士に向かって帰投するシーンで終わる。感動もんです。
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自宅近辺の小川にて試運転、二度と浮上することはなかった。僕の「伊401」はここに眠る。

最近はスケールモデルばかり作っているが、子供の頃はゼンマイやモータで動く模型を数多く作って遊んだ。作った模型には思い入れが残り、大きくなって小説や映画でまた出会うと感慨はひとしおである。

アメリカ空軍戦略偵察機「SR-71」ブラックバード
ロッキード社が開発した超音速・高高度戦略偵察機。1966年運用開始、1999年に退役。
全長32.73m、全幅16.94m、巡航速度M3.2、巡航高度84,000ft、乗員2名。

模型は1/72であるが第二次大戦機ばかり作っていた自分にとっては大きな模型だったと記憶している。
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飾る場所がなく、仏壇の中に入れておいたが、いつ誰が処分したのか記憶にない「SR-71」。

郷愁を誘う古い模型であるが、また作ってみたくなる。未制作の模型がまだ数十個あるので存命中にできるかどうか・・。

(2009年10月上旬 撮影機材 Canon IXY L2)
観た映画(Amazonの該当頁へ):「Das Boot」邦題:Uボート
作った模型(Amazonの該当頁へ):「Uボート」童友社「SR-71」ハセガワ
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