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大刀洗の零戦32型(福岡県) [大戦機と模型]

大刀洗の零戦32型
福岡県朝倉郡筑前町にある筑前町立大刀洗平和記念館には旧日本海軍の零式艦上戦闘機32型が展示されている。大刀洗にはかつて陸軍大刀洗飛行場があり陸軍大刀洗飛行学校があった。この飛行学校の分校が特攻基地として有名な知覧分校である。大刀洗も知覧も旧陸軍の施設であるが、旧海軍の零戦が展示されている。特に大刀洗の零戦は現存する唯一の「32型」である。

展示されている零式艦上戦闘機32型。
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零式艦上戦闘機32型(A6M3)は二号型零戦と呼ばれ、一号型(21型)零戦に搭載された栄12型発動機を出力向上かつ高空性能を向上させた栄21型発動機に換装することをポイントに開発された。すでに大戦勃発前の昭和15年(1940年)に海軍から発注を受けている。発動機の換装に伴い、カウリング再設計とプロペラ(住友ハミルトン恒速式3翔)を一号型零戦より15㎝大きい3.05mとした。零戦32型最大の特徴となる翼の短縮は横転性能の改善と生産工程の短縮を目的としたが、零戦の水平面における軽快な運動性能が犠牲となった。改造に伴う重量の増加等から航続性能の低下があり、また期待ほどの速度向上は望めず、現地部隊からの不評もあって、生産は343機で終了した。三菱重工のみの生産である。

上方より主翼を撮影、バッサリ短縮された翼の形状がよくわかる。
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栄21型発動機がオブジェのように置かれていた。
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背景、壁には旧陸軍97式戦闘機の写真が貼られている。実機の展示もあるが撮影禁止だった。

機体全景を撮影。
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零戦32型は三菱重工のみの生産であるが、復元機は中島飛行機生産の塗装がなされていた。
尾翼記号は「Y2-128」、第252海軍航空隊。

大刀洗平和記念館付近地図


ちなみに「大刀洗」と「太刀洗」、本来は「太刀洗」で、明治の町村制発足のとき「大刀洗村」と官報に表記され、町名は「大刀洗」との事らしい。

(2011年2月上旬 撮影機材 Nikon D5000)
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零戦52型「61-120」号機 [大戦機と模型]

零戦52型「61-120」号機 所沢航空発祥記念館
零式艦上戦闘機52型「61-120」号機は昭和19年(1944年)3月頃に製造され、海軍第261航空隊に配備された。同年6月、サイパン島にて米軍に捕獲され、米本土にて徹底的な性能テストが行われた機体である。

現在は米プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)が所有しており、機体と発動機(栄21型)が原型機と同じで、飛行可能である現存唯一の零式艦上戦闘機。

所沢航空発祥記念館展示中の零戦「61-120」号機。
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第261航空隊は通称「虎部隊」、マリアナ諸島・パラオ諸島での防空を任務とする部隊。

零式艦上戦闘機52型(A6M5)は、32型(A6M3)の翼端切り詰めを継承(但し翼端形状は円弧状)し、排気管を推力式単排気管に改め、少しでも速力の向上を図ろうとした機体である。昭和18年(1943年)8月から生産開始された。

主翼は21型に対し左右各500㎜短縮、翼端の折り畳み機構は廃止している。
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原動機は栄21型、推力式単排気管に換装。

本機の製造番号は「5357」、製造は中島飛行機製作所小泉工場。
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主脚に荷重表示帯が表記されていない。

本機は2001年公開の映画「パール・ハーバー(Pearl Harbor)」で真珠湾上空を飛んでいる。真珠湾攻撃は昭和16年(1941年)、濃緑色の52型が飛んでいるのは興醒め(零戦の濃緑色塗装も52型も昭和18年から)で残念な映画・・。

日本への里帰りは過去3回である。昭和53年(1978年)は木更津飛行場で、平成7年(1995年)には龍ヶ崎飛行場にて試験飛行が行われている。平成24年(2012年)から翌年にかけて所沢航空発祥記念館での展示と発動機の起動が行われた。

また、会えるかな・・・。

(2012年12月上旬 撮影機材 FUJIFILM FinePix F770EXR)
関連ブログ:大刀洗の零戦32型(福岡県)
観た映画(Amazonの該当頁へ):「パール・ハーバー(Pearl Harbor)」
参考:米プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)
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浜松基地の零戦52型甲(静岡県) [大戦機と模型]

零戦52型甲 浜松基地
航空自衛隊浜松基地「エアーパーク」に旧日本海軍の零式艦上戦闘機52型甲(A6M5a)が展示されている。製造番号は「4685」、三菱重工名古屋工場で昭和19年(1944年)に製造の機体である。
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尾翼記号は「43-188」、第343海軍航空隊の通称「隼部隊」所属機。

第343海軍航空隊「隼部隊」は昭和19年(1944年)1月に編成され、4月にマリアナ諸島方面に展開したが壊滅し、7月に解隊した。余談だが、紫電改の第343海軍航空隊は「剣部隊」で昭和19年12月の編成。

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零戦52型甲(A6M5a)は52型(A6M5)に対し、20㎜機銃をドラム弾倉からベルト給弾式にし弾数を増加、主翼外板を増厚し強度を高めて急降下制限速度を向上している。

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本機は昭和38年(1963年)にグアム島で発見され復元、平成11年(1999年)より浜松基地「エアーパーク」に展示されている。

塗装は三菱重工製造機に準じた濃緑色と灰色の塗り分け方だが、プロペラが茶色の塗装であるのに警戒帯が2本であったり、またプロペラ背面にも警戒帯があったりで「?」な箇所もある・・。

浜松基地「エアーパーク」付近地図


(2013年5月上旬 撮影機材 Nikon D5100)

関連ブログ:浜松基地「エアーパーク」
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三菱重工名航史料室(愛知県)零戦52型甲 [大戦機と模型]

三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場 史料室
三菱重工名航史料室には、復元された零式艦上戦闘機52型甲(A6M5a)が展示されていた。本史料室は見学は予約制であるが撮影は自由であった。残念ながら2017年5月にて休室し、現在は同製作所大江工場に移設・再整理されている。大江工場の史料室も予約制であるが、撮影は禁止の模様である。

本記事は2015年6月の訪問記である。

零式艦上戦闘機52型甲(A6M5a)。
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本史料室の零戦は、昭和58年(1983年)にミクロネシア連邦ヤップ島で発見され、昭和63年(1988年)に回収、三菱重工にて復元された零戦52型甲(A6M5a)である。
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本機は三菱4708号機、昭和19年(1944年)製造の機体が復元されたものである。

零式艦上戦闘機は、昭和12年(1937年)堀越二郎技師を設計主任として三菱重工にて開発が進められ、昭和15年(1940年、皇紀2600年)海軍に制式採用された。第二次世界大戦を通して海軍の主力戦闘機であり、幾多の型式を持つ。堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」に詳しい。

零式艦上戦闘機の製造は三菱重工と中島飛行機(現:SUBARU)で行われ、三菱で3,880機、中島で6,545機と合わせて10,425機が製造された。

零戦52型は機体後方の塗り分けが、三菱製と中島製で異なる。
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三菱製は機体下部の灰色塗装が水平尾翼と繋がらない。

零戦52型は全幅11.0m、全長9.121m、全高3.509m、全備重量2,743kg、発動機は栄21型空冷14気筒1,100馬力、最高速度は302kt(559.3㎞/h)高度6,000m、兵装は7.7㎜と20㎜機銃が各2挺である。
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プロペラは住友ハミルトン型恒速式(発動機回転数でピッチ変更の定速回転プロペラ)。
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燃料は本体に570ℓ、落下式増槽は320ℓ、航続距離は3,350㎞と長大である。

小牧南工場の史料室が休室したのは残念・・機会があれば大江工場の史料室を訪問してみたい。

三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所 小牧南工場付近地図


三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所 大江工場付近地図


(2015年6月中旬 撮影機材 Nikon Df )
読んだ本(Amazonの該当頁へ):堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」
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紫電改展示館(愛媛県) [大戦機と模型]

紫電改展示館
愛媛県南宇和郡のリゾート施設「南レク」の公園内に「紫電改展示館」があり、日本で唯一現存する「紫電改」が展示されている。「紫電改」は旧海軍の局地戦闘機「紫電」(N1K1-J)の改良型で、昭和20年1月に「紫電21型」(N1K2-J)として兵器採用されている。製造は川西航空機(現在の新明和工業)である。
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川西航空機は飛行艇、水上偵察機に経験が深く、「紫電」も昭和18年12月に兵器採用された水上戦闘機「強風」(N1K1)を改修し、局地戦闘機を短期間で開発しようと図ったものである。「紫電」は昭和19年10月に兵器採用されているが、開発時より水上機のような主翼の中翼形式による不具合が問題となっており、主翼を低翼配置に変えた「紫電21型(紫電改)」の開発へと繋がっていく。

紫電改は、第343航空隊(通称「剣」部隊)に多く配備されて組織的に運用された。第343航空隊(剣部隊)は昭和19年12月に横須賀基地で編成後、松山、大分、出水の各基地で練成に入り、昭和20年1月には松山基地に集結した。戦争末期には鹿屋基地に移動している。

「紫電改展示館」に展示されている機体は、昭和53年11月、愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の海底40mに原型のまま沈んでいるのを発見され、翌年7月に引き揚げられた機体である。
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この機体は第343航空隊で、昭和20年7月に豊後水道上空で交戦した一機とみられている。
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腐食がひどく、付着物の除去等、最低限の処置を施した状態での展示。プロペラも着水時の衝撃で曲がったままの展示である。
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機体正面には、この時に戦死された方々の遺影が飾られており、紫電改が鎮魂碑となっている。
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ちばてつや著「紫電改のタカ」の色紙も展示されていた。主人公の滝城太郎は松山出身の設定。
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我々世代は、この漫画で「紫電改」に特別な思いを抱くようになった・・かな。

「紫電改」仕様
全長9.34m、主翼11.99m、高さ3.9m、装備重量4.86t、最高速度620km/h、離昇出力2,000hp、兵装20㎜機銃×4、自動空戦フラップ装備

川西航空機は独自の「自動空戦フラップ」を開発しており、「強風」「紫電」「紫電改」に実装されている。「自動空戦フラップ」とは、空戦時に機体速度と荷重(G)に応じて自動展開されるフラップである。これにより、旋回半径を小さくし、急激な方向転換が可能となる。

フラップは主翼の付け根。
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後ろからの眺め・・。
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紫電改展示館入口付近には「紫電改」の石碑がある。       (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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紫電改展示館付近地図


紫電改展示館の入館は無料。
松山空港からレンタカーで向かったけど、遠い・・2時間はかかる。

(2017年6月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
読んだ本(Amazonの該当頁へ):「紫電改のタカ」ちばてつや著
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