SSブログ
大戦機と模型 ブログトップ
前の5件 | 次の5件

河口湖自動車博物館(山梨県)飛行舘の零戦 [大戦機と模型]

河口湖自動車博物館・飛行舘の零戦
山梨県は富士山の麓にある河口湖自動車博物館・飛行舘、例年8月の一ヶ月間のみ開館する。ここの飛行舘では旧日本軍の飛行機が復元されて展示が行われている。靖国神社の遊就館で展示されている零式艦上戦闘機52型もここでの復元による機体である。

飛行舘には数年に一度訪問している。

零式艦上戦闘機21型(A6M2b)。
DSC_0051-e1d74.jpeg
真珠湾攻撃時の空母「赤城」搭載機「A1-101」を再現している。以前(2005年)訪問時は追浜航空隊の「オヒ-101」であった。

現在は撮影が禁止となっているが、禁止されていない2010年に撮影した写真である。

零式艦上戦闘機52型(A6M5)。
DSC_0010-19474.jpeg
263航空隊の「豹187」が再現されている。
DSC_0036-ff29f.jpeg

九三式中間練習機(K5Y1)、通称「あかとんぼ」。
DSC_0017-2a8c3.jpeg
尾翼記号「カ-753」、霞ヶ浦航空隊飛行予科練習部。「若鷲の歌」が聞こえてきそうな・・。

河口湖自動車博物館・飛行舘付近地図


(2010年8月中旬 撮影機材 Nikon D80)
関連ブログ:靖国神社の遊就館
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

二式大型飛行艇(鹿屋航空基地) [大戦機と模型]

二式大型飛行艇「二式大艇」
二式大型飛行艇は、川西航空機で生産された大日本帝国海軍の大型飛行艇である。「二式大艇」の通称で呼ばれ、初飛行は昭和16年(1941年)、生産数は167機、現存する機体は鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地史料館で展示されている1機のみである。

海上自衛隊鹿屋航空基地史料館の二式大型飛行艇12型(H8K2)。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DSC_2090.jpeg
略符号「H8K2」、「H」は飛行艇「K」は川西航空機を示す。

全長28.1m、全福38.0m、全高9.2m、全備重量24.5t の大型機である。
DSC_2094-d38e1.jpeg
発動機は三菱火星22型、離昇1850馬力、最大速度245kt(454km/h)、航続距離7152km。

二式大艇の性能は、戦後これを接収し調査した米軍によっても高く評価されており、特に水上滑走中の波飛沫対策はそのレポートが機密扱いであったらしく、公表されたのは米軍が飛行艇開発を止めた後とのことである。ちなみに米軍からは「Emily」というコードネームで呼ばれる。(文林堂 世界の傑作機「二式飛行艇」より)

設計主務は川西航空機の菊原静男技師、海軍局地戦闘機「紫電」「紫電改」の設計も担当している。

乗員は10名。
DSC_2098-011c5.jpeg
武装は20旋を艇首1、艇舷2、艇上1、尾部1、7.7旋を艇下1(予備3)、爆装は最大2t、展示機は当然銃器は取り外されている・・。
DSC_2103-6f097.jpeg
尾翼の機体番号「T-31」は終戦時所属の詫間海軍航空隊の符号、詫間海軍航空隊は水上機航空隊として香川県三豊郡詫間に設置された部隊、尾翼上部には菊水紋が・・。

本機は、昭和54年(1979年)米軍から返還され、お台場の「船の科学館」で展示されていた機体である。
「船の科学館」時代の写真。(2004年1月撮影)
fsc_2701-3ef6e.jpeg
鹿屋基地に移管されたのは平成16(2004年)3月である。

川西航空機の後身は新明和工業で、現在も海上自衛隊の対潜飛行艇「PS-1」救難飛行艇「US-1、US-2」を開発している。鹿屋航空基地史料館には救難飛行艇「US-1A」が展示されている。
DSC_2091-05be3.jpeg

鹿屋航空基地付近地図


(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
関連ブログ:紫電改
読んだ本(Amazonの該当頁へ): 世界の傑作機「二式飛行艇」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

鹿屋基地の零戦52型(鹿児島県) [大戦機と模型]

零戦52型 鹿屋基地
鹿屋航空基地は鹿児島県鹿屋市に所在する海上自衛隊の基地である。基地内にある史料館は、航空機の発展に関する史料と共に、旧海軍航空隊の軌跡が紹介されており、ここに零式艦上戦闘機52型が展示されている。この零戦は、1992年に垂水市まさかり海岸沖から回収された中島製21型と、同年に加世田市吹上浜沖から引き揚げられた52型丙を、海上自衛隊鹿屋工作所で52型に復元したものである。

鹿屋航空基地史料館の零式艦上戦闘機52型(A6M5)。
DSC_2069-e5785.jpeg
史料館内は撮影不可であるが、この零戦だけは撮影可である。

零式艦上戦闘機は、昭和12年(1937年)堀越二郎技師を設計主任として三菱重工にて開発が進められ、昭和15年(1940年、皇紀2600年)海軍に制式採用された。第二次世界大戦を通して海軍の主力戦闘機であり、幾多の型式を持つ。堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」に詳しい。

零式艦上戦闘機の製造は三菱重工と中島飛行機(現:SUBARU)で行われ、三菱で3,880機、中島で6,545機と合わせて10,425機が製造された。

零戦52型は全幅11.0m、全長9.121m、全高3.509m、全備重量2,743kg、最高速度は302kt(559.3㎞/h)高度6,000m、兵装は7.7㎜と20㎜機銃が各2挺である。
DSC_2079-c601b.jpeg
発動機は栄21型空冷14気筒1,100馬力、プロペラは住友ハミルトン型恒速式(発動機回転数でピッチ変更の定速回転プロペラ)、燃料は本体に570ℓ、落下式増槽は320ℓ、航続距離は3,350㎞と長大である。

零戦52型は機体後方の塗り分けが、三菱製と中島製で異なる。
DSC_2077-c9bae.jpeg
中島製は機体下部の灰色塗装が水平尾翼と繋がる塗り方。

艦上戦闘機であるので着艦フックが装着されている。
DSC_2080-1b103.jpeg
復元にあたり、所属を示すマーキング等は施されていない。

操縦席と98式射爆照準器。                   (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DSC_2086-dd500.jpeg

鹿屋基地は帝国海軍の航空基地であり、神風特別攻撃隊の出撃基地でもあった。
小説「永遠の0(百田尚樹著)」で主人公・宮部久蔵が最後の出撃をする基地が鹿屋海軍航空基地、ここで搭乗する機体を52型から21型に交換する、これが物語の重要な挿話となる。52型の搭乗員は機体故障のため、攻撃隊から離脱、生き残る・・。

大戦中、鹿屋海軍航空基地からは908名の特攻隊員が出撃したと云う。

鹿屋航空基地史料館には、特攻隊員の遺影や遺書等も展示されている。
DSC_2067.jpeg
後ろに写っているのはHSS-2A哨戒ヘリコプター、和名「ちどり」。

鹿屋航空基地付近地図


(2017年12月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
関連ブログ:三菱重工名航史料室(愛知県)零戦52型甲
読んだ本(Amazonの該当頁へ):堀越二郎/奥宮正武共著「零戦」百田尚樹著「永遠の0」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

帝国戦争博物館(ロンドン)スピットファイアと零戦 [大戦機と模型]

帝国戦争博物館(Imperial War Museum:略称IWM)
帝国戦争博物館(ロンドン)は、大戦の記録を残すイギリスの国立博物館である。ここに展示されている英国空軍(Royal Air Force)戦闘機「スピットファイア」を観たくて、ツアーの最終日に訪れた。

スピットファイア
帝国戦争博物館に入ってすぐ、ロビーに「スピットファイア Mk.Ia」が展示されている。
DFI_2695.jpeg
スピットファイア(Supermarine Spitfire)はイギリスのスーパーマリン社において、当時の列強各国による戦闘機の近代化の中で、低翼単葉、全金属性の機体構造、引き込み式主脚である戦闘機として開発された。格闘戦を重視し旋回性能を向上させるため、楕円形で薄い主翼を採用している。
DFI_2700-3b22a.jpeg

初飛行は1936年3月であるが、制式採用され大量に発注されたものの量産に手間取り、1号機が納入されたのは1938年5月、最初のスピットファイヤ飛行隊であるNo.19 Sqn(ダクスフォード)の編成が完了したのは1938年12月と云う。「Sqn」は「Squadron(飛行隊)」の短縮形

スピットファイアMk.I型の最高速度は582㎞/h、航続距離925㎞、武装はMk.Iaが7.7㎜機銃8挺装備 、Mk.Ibが20㎜機関砲2門装備である。
DFI_2737-b4b60.jpeg
エンジンはロールス・ロイス社が開発したマーリン(Merlin)、液冷V型12気筒OHC、4バルブの航空機用レシプロエンジンである。スピットファイアMk.Iに搭載されたのはマーリンII型乃至Ⅲ型で、出力は1030hp。

この帝国戦争博物館の展示されている機体は1939年に発注され、1940年7月に「s/n:R6915」として英国空軍に納入された。装着エンジンはマーリンⅢ型、初期配属はNo.609 Sqn(West Riding)、Coded PR-Uである。
DFI_2733-5112a.jpeg
終戦後、1946年8月に帝国戦争博物館に展示となった。

2017年の映画「ダンケルク(Dunkirk)」において実機のスピットファイアが活躍している。ダンケルクの戦い(Battle of Dunkirk)は1940年5月末-6月、当時配属されているのはスピットファイアMk.I型である。映画においてはMk.I型とMk.Ⅴ型が使用されたらしい。スピットファイアの下面、左が黒、右が白に塗り分けられていたのが印象的であった。

イギリスの制空権を争うバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)の時期(1940年7月-10月)には8月にスピットファイアMk.II型が配備され、Mk.I型と共に戦っている。

零式艦上戦闘機
ロンドンの帝国戦争博物館に、零戦の胴体が展示されている。
DFI_2709-17028.jpeg
塗装も剥げ落ち、エンジン部と翼がないので、型式の判別ができない。
DFI_2712-192f0.jpeg
ロンドン訪問時にはこの機体の詳細がわからなかったが(説明文があったかも知れないが、英語なので・・)、ロンドン訪問の5年後に出版された野原茂著「米軍に暴かれた日本軍機の最高機密」という本に、この機体の来歴が載っていた。本機は零戦52型で、敗戦時マレー半島南端の日本海軍テブラウ飛行場にてイギリス軍に接収され、ATAIU-SEA(連合軍航空技術情報部 東南アジア局)の所属になり英国に移送された機体、元の所属とかは不明らしい。(ロンドン訪問以降、この機体の型式や来歴が頭の隅に靄っていたが、記事を発見したときは感動・・)

零戦はスピットファイアと同時期、戦闘機の近代化が図られた低翼単葉、全金属性の機体構造、引き込み式主脚の戦闘機であり、エンジン出力も1000馬力級、格闘戦はもちろん重視されたが、スピットファイアにはない航続距離を持つ。エンジン(空冷、液冷)、武装の違い、その後の改造の許容度等、両国の用兵・設計思想や国力の違いが機体に反映されており、興味がつきない。

帝国戦争博物館(ロンドン)付近地図


ツアーはJALPAK「エジンバラと湖水地方を訪ねる・イギリス縦断8日間」に参加。

(2018年5月中旬 撮影機材 Nikon Df )
読んだ本(Amazonの該当頁へ):野原茂著「米軍に暴かれた日本軍機の最高機密」
観た映画(Amazonの該当頁へ):「ダンケルク(Dunkirk)」
参考:Supermarine Spitfire「s/n:R6915」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

予科練平和記念館の零戦21型(茨城県) [大戦機と模型]

予科練平和記念館の零戦
「予科練平和記念館」は茨城県稲敷郡阿見町にある予科練の歴史を伝える記念館。近辺は旧海軍の霞ヶ浦海軍航空隊と第一海軍航空廠があった所、現在は陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地が隣接している。ここに平成27年(2015年)から旧海軍零式艦上戦闘機21型の実物大模型が展示されている。

零式艦上戦闘機21型(A6M2b)実物大模型。
DSC_2952.jpeg

「予科練」とは「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、昭和5年(1930年)横須賀海軍航空隊から始まり、昭和14年(1939年)には霞ヶ浦海軍航空隊に移転、翌年には予科練教育を専門とする土浦海軍航空隊が設置された。

零戦の展示は記念館開館日、平日は格納庫にて、日曜・祝日は屋外での展示となる。
DSC_2967-210b1.jpeg

ここ茨城県阿見町では、大戦末期(昭和19〜20年)に中島飛行機が零戦を製造していたと云う。戦闘機の生産増強のため、第一海軍航空廠の格納庫を中島飛行機の工場として使用したらしい。

実物大零戦模型のスピナー形状も「中島製」を模したと見受けられる。
DSC_2953-0b087.jpeg
DSC_2956-24c96.jpeg

予科練平和記念館には当時の写真が数多く展示されている。非常に迫力のある写真で感心していたら、撮影者は「土門拳」であった。

大戦末期の特攻は土浦海軍航空隊を中心として隊が編成されたらしく、海軍における特攻戦死者の7割が予科練出身ということである。記念館にある若き特攻隊員の遺書には涙を禁じ得ない。いやいやながらついてきた妻も感じ入ったようである、二児の母だからね・・。

予科練平和記念館に隣接して「雄翔園」というのがある。予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿を納めた「予科練の碑」(予科練二人像)を正面にみる霊園である。     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DSC_2960-338be.jpeg
「若鷲の歌」が聞こえてきそうだ、”若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨〜”・・合掌。

予科練平和記念館付近地図


(2018年8月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の5件 | 次の5件 大戦機と模型 ブログトップ