SSブログ

百里基地航空祭(茨城県)2016「飛行展示・地上展示」 [航空自衛隊]

百里基地航空祭 2016
平成28年(2016年)11月に開催された百里基地航空祭。

百里基地といえば「F-4EJファントム」であるが、航空祭であるからブルーインパルスを始め、多くの機種が飛行展示ならびに地上展示されている。

部隊マークは尾白鷲(オジロワシ)、第302飛行隊のF-4EJ改ファントム。
DFI_0877-c2007.jpeg
第302飛行隊は航空自衛隊2番目のF-4EJ飛行隊として昭和49年(1974年)に千歳基地で編成、百里基地には平成21年(2009年)に移動している。

第306飛行隊のF-15J、部隊マークは「イヌワシ」(ゴールデンイーグル)。
DFI_0726-bfd31.jpeg
第306飛行隊は小松基地に所属、昭和56年(1981年)にF-4EJ飛行隊として編成、平成9年(1997年)F-15Jへ機種更新となった。日本における「トップガン」部隊である。

「トップガン(Top Gun)」部隊とは、全国から選りすぐりのパイロットを集めて戦技教育を行う戦技課程を有している部隊。

航空自衛隊アクロバットチーム「ブルーインパルス」、機種はT-4。
DFI_0773-b95b5.jpeg
ブルーインパルスは松島基地所属の第11飛行隊、当日は天候がよろしくなく、派手な飛行は実施されなかった。

救難ヘリコプターUH-60J、救助のデモンストレーション。
DFI_0769-cb2bd.jpeg
UH-60Jは、米国の多用途ヘリコプターUH-60Aブラックホークの改造機。航空自衛隊と海上自衛隊では救難ヘリコプターとしてUH-60J、陸上自衛隊では多用途ヘリコプターとしてUH-60JAが配備されている。

地上でのUH-60J、後方にぼんやりと筑波山が見える。
DFI_0770-5ffc7.jpeg
塗装は低視認(ロービジ)の洋上迷彩。

空中給油機KC-767。
DFI_0817-a01bb.jpeg
米国ボーイング社がB767-200ERを改造した空中給油機、航続距離は約7,200㎞(30t積載時)。

陸上自衛隊の戦闘ヘリコプター「AH-64Dアパッチ・ロングボウ」。
DFI_0822-7b8b8.jpeg

百里基地管制塔。
DFI_0776-a0e8c.jpeg

百里基地付近地図


百里基地航空祭にはサンケイツアーズで参加、ツアーバスが滑走路入口付近まで行ってくれるのでとても楽。航空祭会場の出店はとても混むので、ツアーで配られるサンドイッチを昼食にひたすら撮影。航空祭最大の難所はトイレ・・黙々と長蛇の列に並ぶのみ。

(2016年11月下旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:小松基地
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

入間基地(埼玉県)CH-47体験搭乗 [航空自衛隊]

入間基地・CH-47体験搭乗
航空自衛隊が実施している航空機やヘリコプターの体験搭乗、航空幕僚監部広報室「体験飛行」への応募に当選し、大型輸送ヘリコプター「CH-47J(チヌーク)」に体験搭乗することになった。埼玉県の狭山市と入間市に跨る航空自衛隊入間基地での体験搭乗である。

入間基地は、かつて旧陸軍航空士官学校が開設された場所で、第二次大戦後は米軍によりジョンソン基地と改称、昭和33年(1958年)中部航空方面隊司令部が設置され入間基地が発足した。

入間基地は西武池袋線の稲荷山公園駅が至近駅である。入間基地航空祭開催時は、駅ホームに臨時出口が設けられ直に基地構内に入れたが、今回は駅改札から数分歩き、基地稲荷山門から入場した。

タンデムローター式の大型輸送用ヘリコプターCH-47J(チヌーク)。
DSC_3290.jpeg
CH-47は米ボーイング・バートル社が開発、日本への導入は昭和61年(1986年)からで川崎重工がライセンス生産、CH-47Jとして陸上自衛隊と航空自衛隊が採用した。本機は航空自衛隊機。

数班に分かれ、説明を受けて搭乗を待ち、いざ搭乗機へ。
DSC_3304-b185c.jpeg
搭乗機は「37-4489号機」である。

CH-47J後部から搭乗し、着座。
DSC_3306-c08e0.jpeg
乗員は5人+48人を載せることが可能らしい。航続距離は約1,000km(6t搭載時)。

滑走路に移動中。
DSC_3308-cea8d.jpeg

離陸中、眼下に滑走路。
DSC_3344-d7f7e.jpeg

基地周辺を飛行、CH-47Jの丸窓を撮影。
DSC_3338-a5f1d.jpeg

飛行時間は20分程度、上空では離席して機内を散策可、操縦席を覗く。
DSC_3320-3cd68.jpeg

丸窓からの風景、レンズ状になっているので鮮明に見える。
DSC_3341-cf76a.jpeg

帰投後、給油している搭乗機「37-4489号機」。
DSC_3364-7684d.jpeg

入間基地でCH-47J(チヌーク)を運用するのは航空救難団入間ヘリコプター空輸隊、滑走路のない離島や僻地の基地などに、各種機材や補給物資、人員などを運ぶ「端末輸送」を担っている。災害発生時には救援ヘリとして活躍している。

入間基地周辺地図


(2018年10月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

入間基地(埼玉県)C-1輸送機歌舞伎塗装 [航空自衛隊]

入間基地・C-1輸送機歌舞伎塗装
埼玉県の狭山市と入間市に跨る航空自衛隊入間基地は、かつて旧陸軍航空士官学校が開設された場所で、第二次大戦後は米軍によりジョンソン基地と改称、昭和33年(1958年)中部航空方面隊司令部が設置され入間基地が発足した。

入間基地の所属部隊である第2輸送航空隊は、昭和33年(1958年)輸送航空団木更津訓練隊として発足、昭和43年(1968年)に入間基地に移駐、昭和53年(1978年)には輸送航空団の改編により第2輸送航空隊となる。

平成30年(2018年)は第2輸送航空隊の創設60周年となり、隷属する第402飛行隊・C-1輸送機のスペシャルマーク機が用意された。

航空自衛隊・第2輸送航空隊、第402飛行隊、創設60周年記念塗装機「026」C-1輸送機。
DSC_3267.jpeg
歌舞伎の隈取をモチーフとした奇抜なスペシャルペイント機である。
DSC_3352-d0f1c.jpeg

大型輸送用ヘリコプターCH-47Jの体験搭乗に入間基地にきていたが、展示されていたので体験搭乗終了後にじっくり見学させてもらった。
DSC_3348-625a1.jpeg
DSC_3350.jpeg
C-1輸送機は川崎重工が製造している国産の中型輸送機、昭和48年(1973年)から運用されている。胴体後部の貨物扉が大きく開き、貨物の積み卸しや人員の搭乗が容易に行える。
DSC_3383-4a285.jpeg
最大積載量は8t、最大搭乗人員は60名、完全武装した空挺隊員なら45名が収容可能。(自衛隊HPより)

操縦席を撮影。
DSC_3387-b1833.jpeg

エンジンカバーも歌舞伎模様。
DSC_3351-45235.jpeg
エンジンはJT8D-9が2基、JT8Dは米国のプラット・アンド・ホイットニー製ターボファンエンジン。

通常塗装のC-1輸送機。
DSC_3273-4f892.jpeg
C-1輸送機は、優れた短距離離着陸能力(最短離陸距離は約600m)を有し、国内のどの飛行場でも離着陸が可能、部隊の輸送、空挺部隊の落下傘降下支援、各種装備品、資材等の輸送が任務であり、災害発生時には救援物資の空輸や急患輸送の大きな担い手となっている。(自衛隊HPより)

C-1輸送機の後継機であるC-2輸送機、体験搭乗用の機材として用意されていた。
DSC_3353-1253e.jpeg
C-1に比べ近代化された装備とともに、約4倍の航続距離、約3倍の搭載重量と性能が向上されている。C-2輸送機は防衛省技術研究本部と川崎重工が開発、川崎重工が製造している。

離陸するC-2輸送機。
DSC_3277-4fc8c.jpeg
最短離陸距離は約500m、最大積載量は32t(16式機動戦闘車の空輸が可能)、最大搭乗人員は110名、エンジンは米国GE製CF6-80C2ターボファンエンジンを2基搭載する。

入間基地の所属部隊である飛行点検隊のYS-11FC。
DSC_3265-f61b3.jpeg
飛行点検隊は陸海空各自衛隊基地にある航空保安無線施設等を航空機により点検している部隊。FCはフライトチェッカーの略で、尾翼は市松(チェッカー)模様。

YS-11は、第二次大戦後に初めて日本のメーカー(日本航空機製造)が開発製造した双発ターボプロップエンジンの航空機である。初飛行は昭和37年(1962年)と古く、既に旅客機としては国内で運行されていない。

タンデムローター式の大型輸送用ヘリコプターCH-47J(チヌーク)。
DSC_3291-81f22.jpeg
CH-47は米ボーイング・バートル社が開発、日本への導入は昭和61年(1986年)からで川崎重工がライセンス生産、CH-47Jとして陸上自衛隊と航空自衛隊が採用した。体験搭乗の搭乗機。

入間基地でCH-47J(チヌーク)を運用するのは航空救難団入間ヘリコプター空輸隊、滑走路のない離島や僻地の基地などに、各種機材や補給物資、人員などを運ぶ「端末輸送」を担っている。災害発生時には救援ヘリとして活躍している。

入間基地周辺地図


(2018年10月中旬 撮影機材 Nikon1 J5)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

百里基地航空祭(茨城県)2018「第302飛行隊」去りゆくオジロワシ [航空自衛隊]

百里基地航空祭 2018「第302飛行隊」
平成30年(2018年)12月、「ファントムと共に去りゆくオジロワシ」と銘打った百里基地航空祭。
ここ百里基地に所属する第302飛行隊は、2019年に三沢基地に移動しF-35Aに機種更新という事になり、ファントムでの航空祭はこれが最後となる。

第302飛行隊の部隊マークは尾白鷲(オジロワシ)、記念塗装された「F-4EJ改ファントム」。
DFI_3501.jpeg

第302飛行隊は航空自衛隊2番目のF-4EJ飛行隊として昭和49年(1974年)に千歳基地で編成、百里基地には平成21年(2009年)に移動している。

飛行前の第302飛行隊F-4EJ改ファントム、黒く塗装された「399号機」。
DFI_3486.jpeg

上昇する「黒いファントム」。
DFI_3751-512de.jpeg

アフターバーナーを焚いて旋回。                (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_3636-18b9a.jpeg

真上を通過、下面も黒塗装。
DFI_3537-eea9f.jpeg

戦闘機は動きが激しいので、カメラで追うのが大変・・。
DFI_3683-d9edd.jpeg

戦闘機「F-4EJファントム」は、米空軍の「F-4E(McDonnell Douglas F-4E Phantom II)」を改造した戦闘機で昭和47年(1972年)に導入、三菱重工によるライセンス生産等により昭和56年(1981年)まで生産が行われた。調達総数は154機、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一である。

F-4EJの機体寿命延長と火器管制システムの近代化、航法、通信能力の向上、搭載ミサイルの近代化、爆撃機能の向上等のため国産機中90機が改修されて「F-4EJ改」となり昭和59年(1984年)から導入された。

「F-4EJ改」主要諸元(航空自衛隊HPより)
全長19.2m、全幅11.7m、全高5.0m、最大速度:マッハ2.2、最大航続距離:約2900㎞
乗員2名、エンジン2基:J79-GE(IHI)-17

滑走路上空、第302飛行隊「428号機」、白の記念塗装機。
DFI_3590-28dd6.jpeg

アフターバーナーを焚いて旋回。
DFI_3611-bf4aa.jpeg
撮影データ:320mm、f/8、1/2500、ISO320、Nikon Df

下面も白く、機首の尾白鷲(オジロワシ)も映える。
DFI_3602-e66e3.jpeg

「白いファントム」
DFI_3772-cc154.jpeg
撮影データ:500mm、f/8、1/2500、ISO560、Nikon Df

「ファントムと共に去りゆくオジロワシ」・・。

百里基地付近地図


百里基地航空祭にはいつもの「サンケイツアーズ」で参加、ツアーバスが滑走路入口付近まで行ってくれるのでとても楽。航空祭会場の出店はとても混むので、ツアーで配られるサンドイッチを昼食にひたすら撮影。航空祭最大の難所はトイレ・・黙々と長蛇の列に並ぶのみ。

(2018年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

百里基地航空祭(茨城県)2018「第301飛行隊」 [航空自衛隊]

百里基地航空祭 2018「第301飛行隊」
茨城県小美玉市百里にある航空自衛隊百里基地は、昭和13年(1938年)に発足した旧海軍百里ヶ原航空隊から始まる。戦後は農地として開放されたが、昭和33年(1958年)航空自衛隊百里分屯基地が発足、飛行場完成に伴い、第206飛行隊(F-104)及び第207飛行隊(F-104)が新編され、昭和41年(1966年)に百里基地として発足した。昭和42年(1967年)第7航空団が入間基地から移駐し、対領空侵犯措置任務を開始した。

百里基地は空自で初めてF-4EJを配備、昭和48年(1973年)には第301飛行隊(F-4)が新編され、昭和50年(1975年)偵察航空隊である第501飛行隊(RF-4)が入間基地から移駐、昭和53年(1978年)には 第305飛行隊(F-4)が新編され、3つのF-4飛行隊が揃う基地となった。

その後、F-15の導入に伴いF-4飛行隊の移動や機種更新があり、百里基地もF-15飛行隊体制の時期もあったが、平成21年(2009年)に第302飛行隊(F-4)が百里基地に移動し、平成28年(2016年)には第301飛行隊(F-4)が戻ってきて、第501飛行隊(RF-4)と共に再び3つのF-4飛行隊が揃う基地となる。

第302飛行隊は2019年に三沢基地に移動しF-35Aに機種更新という事になり、平成30年(2018年)12月の百里基地航空祭は「ファントムと共に去りゆくオジロワシ」と銘打っているが、個人的には百里基地は空自初のファントム飛行隊「第301飛行隊」の印象が強い・・歳かね。

第301飛行隊のF-4EJ改ファントム、部隊マークはマフラーをした「カエル」。
DFI_3945-315a3.jpeg
部隊マークの「カエル」は、関東の霊峰「筑波山」のガマガエルがモチーフ。無事カエル・・。
DFI_3942-5a8cd.jpeg
撮影データ:500mm、f/8、1/2000、ISO500、Nikon Df

戦闘機「F-4EJファントム」は、米空軍の「F-4E(McDonnell Douglas F-4E Phantom II)」を改造した戦闘機で昭和47年(1972年)に導入、三菱重工によるライセンス生産等により昭和56年(1981年)まで生産が行われた。調達総数は154機、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一である。

F-4EJの機体寿命延長と火器管制システムの近代化、航法、通信能力の向上、搭載ミサイルの近代化、爆撃機能の向上等のため国産機中90機が改修されて「F-4EJ改」となり昭和59年(1984年)から導入された。
DFI_3959-e5a16.jpeg
「F-4EJ改」主要諸元(航空自衛隊HPより)
全長19.2m、全幅11.7m、全高5.0m、最大速度:マッハ2.2、最大航続距離:約2900㎞
乗員2名、エンジン2基:J79-GE(IHI)-17

上空は少し霞んでいて・・主翼に雲がかかる。
DFI_3989-60b48.jpeg

旋回するファントム。                     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
DFI_4027-9f87f.jpeg
撮影データ:500mm、f/8、1/2000、ISO360、Nikon Df

車輪と着艦フックを出してのデモ飛行、ファントムは艦上戦闘機でもある・・空母があれば。
DFI_4010-f45c0.jpeg

着陸し、滑走路を走行中の第301飛行隊のF-4EJ改ファントム。
DFI_4093-5c56c.jpeg

「筑波山」を背景に撮影。
DFI_4097-93ce5.jpeg

第301飛行隊は2020年に三沢基地に移動しF-35Aへ機種更新が行われる。

百里基地付近地図


百里基地航空祭にはいつもの「サンケイツアーズ」で参加、ツアーバスが滑走路入口付近まで行ってくれるのでとても楽。航空祭会場の出店はとても混むので、ツアーで配られるサンドイッチを昼食にひたすら撮影。航空祭最大の難所はトイレ・・黙々と長蛇の列に並ぶのみ。

(2018年12月上旬 撮影機材 Nikon Df )
関連ブログ:ファントムと共に去りゆくオジロワシ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー